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人生のピークを塗り替えるために。

不撓不屈の元フットボーラーが走り出した新たなるフィールド。

アメフト用語に、「QBサック」という言葉がある。

これは、攻撃側の司令塔であるQB(クオーターバック)めがけて

ディフェンスがタックルすることを意味するが、

一般的にQBの前には屈強なオフェンスラインがいる。

そのブロックを粉砕し、

QBサックを成功させることは並大抵ではない。

それだけに、QBサックはチームを盛り上げ、

試合の流れを変えるビッグプレイのひとつとして称賛されている。

そんなQBサックの回数が、

大学アメフトの世界で日本2位になった男がいる。

それが、大沼田悠氏だ。

慶應義塾高校入学後、アメフトを始め、

大学では慶應義塾体育会アメリカンフットボール部UNICORNSへ。

持ち味の瞬発力を活かし、華麗にQBサックを決める姿は、

多くの観客を沸かせ、対戦チームを苦しめた。

そんな彼は今、

プルデンシャル生命保険会社で新しい人生を切り開いている。

トップを目指し、ひたすらに猛進する男の生き様を、

ここに紹介したい。

 大沼田 悠/ OHNUMATA  YU

1990年4月11日生まれ。東京都出身。慶應義塾大学でアメフトに打ちこみ、卒業後は証券会社に入社。営業、本社勤務を経て、2016年、プルデンシャル生命保険株式会社に転職。

最初から上手くはいかないタイプ。でも、だからこそ努力することの大事さを学べた。

力と戦略がぶつかり合うスポーツ・アメフト。広大なフィールドを全力で駆け抜ける日々が大沼田氏に教えてくれたのは、努力をすれば必ず結果は出るということだ。

「僕は決して最初から何でも上手くいくタイプの選手ではありませんでした。高校のときも早稲田にいる同じポジションの同級生に何度もボコボコにされた。でも必死に練習して、何度も映像を見て彼のプレイを研究して、3年の秋の公式戦で初めて互角に渡り合えた。とことん悔しい想いをして、そこから這い上がって成功を掴むのが僕の人生。それは、大学でも、今の仕事でも同じです」

大学でも3年になって同じチームメンバーにポジションを奪われ、なかなか試合に出られない時期が続いた。華々しく活躍する仲間を見て、鬱屈した想いを抱えることもあった。それでも4年時に体制が変わり、再び一線に返り咲くと、そこからは意地でも食らいついた。満身創痍の身体に鞭を打ち、痛み止めを飲んででも練習だけは休まなかった。やっと掴んだチャンス、絶対に手放すわけにはいかない。その想いだけが、傷だらけの身体を支えた。結果、QBサックの回数で全国2位に輝くなど、チームを支える大車輪の活躍を示し、関東選抜にも抜擢された。大沼田氏にとってアメフトと過ごした日々は、栄光と挫折のつまった最高の青春時代だった。

アメフトをしていた頃のように、もう一度仕事で熱狂したい。出世コースを捨て、勝負の世界へ。

だからこそ、社会人になってからの毎日は、どこか消化不良だった。証券会社に入社した大沼田氏は、慶應卒の経歴と資質を買われ、入社1年目で経営直轄の部署に異動。株主総会や取締役会を仕切るなど、コーポレートの中心を担った。業務内容こそ刺激的だったが、一方で閑散期は朝出社した時点で、その日1日何もやることのないような状態。にもかかわらず残業代を目当てに2~3時間だらだら居残るなど、典型的なダメサラリーマンになり果てていた。

「学生時代の僕なら、同じ部活にそんなやつがいたら間違いなくぶん殴っていた。そんな情けない人間に自分がなっていることに気づいて、さすがにこのままじゃヤバいなと思いはじめるようになりました」

そんな矢先に、現職であるプルデンシャル生命からヘッドハンティングを受けた。営業所長と対面した大沼田氏は、単刀直入にこう切り出された――人生でいちばん輝いていた時期はいつですか、と。

「そのとき、『大学4年です』って答えたら、こう言われたんですよ。『それ、もう3年も前ですよね?じゃあ、あなたはこの3年間何をやってたんですか?』って。人生のピークが過去なんだって思い知られたとき、僕は恥ずかしくて、もう死にたくなりました」

確かに、あの頃の自分は輝いていた。試合で思った以上のプレイができたときの興奮。勝利を掴んだときの全身が震えるような快感。それはたとえどれだけ巨額のお金を顧客から預かっても、人が羨む出世コースを歩んでも、かないようのない熱狂だった。今では大学時代のアメフト仲間を酒を飲んでも、盛り上がるのは昔話ばかり。会社の仲間と飲めば、出てくるのは上司や組織への不満ばかり。もう自分は、あの熱狂を二度と味わえないのか。そう思ったら、奮い立つ気持ちを抑えきれなかった。

「もう一度あの熱狂を仕事で体験したい。そのためにも、この腐った自分を根本から変えなくちゃって思ったんです。当時、その営業所長が掲げていた目標は、日本一の支社になること。ここに入れば、また学生時代のように日本一を目指せる。熱狂を味わえる。僕にはもうためらう理由は何もありませんでした」

胸に秘めたふたつの夢。

あの日の熱狂を超えるべく、今ここにキックオフ。

2016年11月、26歳で現職にキャリアチェンジした大沼田氏だが、決して最初から上手くはいかなかった。こうした保険営業は、最初は友人を頼るのが相場。しかし、頼みの綱である学生時代の友人は大半がすでに同社の保険に加入していた。友人の援護射撃を満足に得られなかった大沼田氏は初月から出遅れ。だが、結果的にそれが大沼田氏の営業スタイルを決定づけることとなった。

僕がいちばん大事にしているのは、紹介をいただくことです。と言うのも、僕の父は歯科医なんですね。三軒茶屋にクリニックを構えて、もう25年やっている。父の歯科医院が繁盛している理由は、クチコミ。父の腕の良さが評判を呼び、自然と患者さんから患者さんへと紹介が増え、今も予約が絶えない人気クリニックになっているんです。個人事業主という意味では、僕も同じ。自分本位の利益に走ったところで、短期的に業績は出てもきっとどこかで破綻する。そうじゃなくて、ちゃんとお客様第一に考えて行動していれば、必ず次につながる。そう信じて、数は少なくても、愚直に、誠実に、一人ひとりのお客様と向き合うことを心がけました」

努力は必ず実を結ぶ。アメフトがそう教えてくれたから、どんなに苦境でも気持ちが折れることはなかった。

「おかげさまでこの上期が終わって、新規顧客件数に関しては支社でナンバーワンになることができました。ほとんどツテがなかった僕が、これだけ新しいお客さんと出会えたのも、1件1件の紹介にこだわってきたから。でも、まだまだ全然ここで満足できない。同い年の同僚はもっと先を行ってます。僕もトップを目指すからには、さらにギアを上げていかないと」

そう意気込んだ。アメフト仕込みの不撓不屈の精神で、今、2年目の巻き返しに挑んでいる。そんな大沼田氏の夢は何だろうか。

「まずひとつは、自分の仕事を通じて金融業界のイメージを変えていきたいと思っています。証券、生命保険と金融の世界を渡り歩いてきて、一般の方々の金融に対するイメージが決して良くないことは十分に理解しているつもりです。でもそれは今まで出会った業界の人間の印象が悪かったり、間違った金融の知識を刷り込まれているからだと思うんですね。金融は、人生の助けになるもの。証券も生命保険も知る僕だからできる提案で、もっと金融の大切さを知ってもらうことが使命だと思っています」

そして、もうひとつの夢はアスリートへの貢献だ。

「やっぱり同じアスリートとしてわかるところがいっぱいある。だからもっとアスリートの方とつながることで、彼らの将来設計だったり、セカンドキャリアをサポートできれば」

輝いていた大学時代の自分を超えるために、大沼田氏は立ち止まることなく自分のベストを更新し続ける。いくつもの壁を突破した先に、きっと決めることができるはずだ、彼にしかできない豪快な人生のQBサックを。

<原稿:2018年5月更新>

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