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保険の営業マンを子どもが憧れる職業にしたい。

元サッカーU-19日本代表が追いかける新たなる夢。

元サッカーU-19日本代表にして、2017年新規被保険者数第1位。

サッカーでも、保険の営業という世界でも、

輝かしい実績をあげた男がいる。

彼の名は、佐藤卓斗。プルデンシャル生命で活躍する営業マンだ。

きっとその経歴だけを見れば、

誰もが彼のことをスーパーマンだと思うだろう。

しかし、佐藤氏はそんな周囲の称賛を柔らかに否定する。

むしろ本人は「どの環境にいても、

いつも最下位からのスタートでした」と苦笑いだ。

熾烈な営業レースの先頭をひた走る27歳の、

最下位からの華麗なる逆転劇を聞いた。

 佐藤  卓斗/ SATO TAKUTO

1991年3月9日生まれ。宮城県出身。2009年、サッカーU-18日本代表入りを果たす。翌年もU-19代表メンバーに選ばれるなど華々しい実績を残す。大学卒業と同時に引退。大手IT系企業のグループ会社で営業として活躍した後、2016年1月、プルデンシャル生命保険株式会社に転職。2017年新規被保険者数第1位に輝く。

高校まで無名。技術も下手。

それでも唯一の武器を磨き抜き、日本代表に。

2014年、全日本大学サッカー選手権大会優勝。総理大臣杯は優勝3回。その輝かしい実績と共に全国にその名を轟かせる流通経済大学サッカー部。佐藤氏は、そんな名門サッカー部で大学生活を送った。

「と言っても、僕自身は決して有名な選手だったわけではないんです。小学生のときも、中学生のときも、チームではいつも最下位。高校では何とか東北代表に入れましたけど、決して将来が嘱望される選手ではなかった。大学のセレクションに受かったのも、本当に奇跡という感じで。その分、大学に入ってからは相当苦労しました(笑)」

250名を超える同部では1軍から8軍まで振り分けられる。佐藤氏への評価は同期60人中59位。周囲は、ユース出身や名門高校卒のスタープレイヤーばかりだった。

「軍隊みたいに厳しい環境で、強豪校でも何でもないところからやってきた僕にとっては、人生で初めての挫折でした。それでも高校時代の恩師から『何かひとつ自分の武器を磨いておけ』とよく言われていたので、自分の長所を磨くことだけは怠らなかった。僕の武器は、身体能力。足の速さだけは誰にも負けない自信があった。そしたら、ある日、思ってもいなかった幸運が舞い込んできたんです」

それは、1年の終わりの練習試合のことだった。本来出場するはずだった選手が怪我により離脱。足の速さだけを見込まれて代わりに選ばれたのが、佐藤氏だった。しかも、その試合での活躍が認められ、翌週に行われたU-18代表の候補合宿にも選出された。それまで何の期待もされていなかった無名の佐藤氏が、一躍、スポットライトの真ん中に躍り出たのだ。

「そこから自分のサッカー人生がガラッと変わりました。試合にも出させてもらえるようになり、U-19の代表メンバーにも選ばれた。それまでまったく考えてもいなかったプロという道が初めて目の前に開けた瞬間でした」

U-19では、今も世界を舞台に活躍する選手たちと同じピッチに立った。中国、アメリカなど遠征も経験した。ここで頑張ったらプロになれるかもしれない。佐藤氏は、雲の上だと思っていた選手たちに必死の想いで食らいついた。

「でも結局、プロにはなれませんでした。理由は、シンプルに言えば実力不足。自分では手を抜いたつもりはなかったけれど、どこか爪が甘かったのかもしれません」

もう一度夢が見られると思った。

人生を変えた、ある男との出会い。

大学卒業後、佐藤氏は大手IT企業のグループ会社に就職した。周りは、名だたる一流大学の出身者ばかり。サッカーの世界では流経大と言えばキングだが、一歩外に出ればただの無名校。これまでサッカーしかやってこなかった佐藤氏にとっては、何もかもが異世界のようだった。また最下位からのやり直し。周囲の冷笑や侮蔑の視線も散々浴びてきた。

「周りはみんなエリート。ひとり体育会系の僕はとにかくズタボロに言われっぱなしでした」

だが、その悔しさが、佐藤氏を変えた。何とか周回遅れのレースを巻き返そうと、人の何倍も数をこなした。周りが次々と挫ける中、飛び込みもアポ取りも厭わなかった。その結果、1年目で新人王を獲得。それからも毎年トップセールスをキープした。

「それでも心のどこかでずっとモヤモヤしたものを抱えていました。前職では、たとえ他社のプランの方がいいと思っていても、上手く営業トークでまるめこんで、自社の商品を売りつけなくちゃいけなかった。そういう営業方針に対して、ずっと抵抗を感じていました。それに結果は出せていたけれど、サッカーをやっていた頃と比べても、全然頑張り切れていないことは自分でもよくわかっていて。そんなもどかしさがずっと胸の内にありましたね」

そんなとき、現職の上司に出会った。佐藤氏は彼との出会いを「人生を変えた出会い」と表現する。

「その所長は10年連続で社内表彰に入賞しているようなすごい人で。話を聞いているだけで、自然と引きこまれてしまうようなオーラがあった。しかも、僕から見たらパーフェクトに見えるその人が『自分は社内では真ん中より下』って言うんです。その瞬間、一体どんなすごい会社なんだって全身に稲妻が走った。ずっと忘れていた少年のような心が一気に甦ってきて。ここならもう一度夢が見られると思いました」

「お客様」ではなく「パートナー」。

そのピュアな志が、人を味方に変えていく。

もう一度人生に本気になりたい。そんな夢と情熱をもって佐藤氏は同社に飛び込んだ。しかし、ここでもまた最下位からのやり直しだった。同期はみんな日本を代表する一流企業の出身者ばかり。まだ24歳だった佐藤氏は、30代が中心の同期と比べても、圧倒的に人脈に欠ける。それでも初月は知り合いを総動員して70人ものアポを取ったが、契約に至ったのはわずか7人だけ。しかも、使えるコネは使い倒して、もう翌月から営業にあたれる見込み客は誰もいない。入社早々、佐藤氏は崖っぷちに追い込まれた。

「でもそれがかえって良かったんだと思います。先に苦労を味わえた分、みんなより早く覚悟が決まった。こだわったのは、とにかく人と会うことです。毎週、5人以上の新規のお客様に会うという目標を立てて、それを入社から今に至るまで2年間、一度も切らさずに達成し続けています」

その人並み外れた継続力が、2017年新規被保険者数第1位という金字塔を打ち立てた。しかし、知り合いもほとんど当たり尽くした佐藤氏が、どうして週5人以上もの新規顧客と会い続けることができたのだろうか。

「これは僕の考えなのですが、『お客様』という言い方が嫌いなんです。対業者みたいな関係になるのが嫌で。それよりも『パートナー』とか『友達』と呼べるような関係を築きたいというのは常日頃から心がけています。そういう姿勢を貫いていたら、徐々に『僕と出会えて良かった』と言ってくださる方が増えて、自然と紹介につながっていったという感じなんです」

だが、保険の営業マンを友人に紹介するということはそう簡単なことではない。紹介する側にとっては、どうしても心理的なハードルがつきまとう。なぜ人は佐藤氏のことを大切な友人に紹介したいと思うのだろうか。その答えは、彼のピュアな姿勢にあるのかもしれない。

「僕が他の営業マンにひとつだけ絶対に負けないものがあるとしたら、それはこの仕事が好きだという気持ち。お一人お一人の人生に合わせてオーダーメイドで商品が設計できて、それをひとりの営業が一生担当できる。こんな素晴らしいことはないと思います」

それは、売る必要性のない商品を売らざるを得なかった苦い経験を持つ佐藤氏だから言える言葉だった。

「それに、この仕事をしていれば、業種業界を問わず、好きな人に自分から会いに行けて、その人の一生をサポートすることだってできる。むちゃくちゃ夢のある仕事だと思います。今の一番の夢は、いつか子どものなりたい職業ランキングに、サッカー選手や野球選手と並んで、保険の営業マンがランクインすること。それくらいこの仕事が大好きなんです」

そう屈託のない表情で言い切った。その無邪気な笑顔を見ていると、周囲が彼を紹介したくなる気持ちがわかる気がした。ただ純粋に夢を追いかけている人は、周りも素直に応援したくなる。人を味方に変える力が、佐藤氏の一番の魅力なのかもしれない。

<原稿:2018年5月更新>

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