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一人一人がお金について主体的に考えられる世の中をつくりたい。金融のプロフェッショナルが思い描く究極の夢。

金融や保険、投資と聞いて、

少なからずネガティブなイメージを

持つ人も世の中にはたくさんいるだろう。

かつての土屋翔平氏も、そうだった。

けれど、ある一人の人間との出会いをきっかけに、

土屋氏は金融のプロフェッショナルとして

生きていく決意をした。

そして今も彼はその夢の途上にいる。

 土屋  翔平/ TSUCHIYA SYOHEI

1990年8月生まれ。静岡県出身。大学卒業後、地方銀行に就職。個人・法人の資産運用業務に携わった後、プルデンシャル生命保険株式会社に転職、入社以来週3件の保険契約の預かりを連続90週継続中(2018年2月時点)2017年よりMDRTに入会。

人生を変えた出会い。お金の悩みを解決することで、社会に貢献できる仕事がしたい。

出会いは、20歳のときだった。成人式の翌朝、仲間と散々飲み明かした明け方の帰り道、ふと土屋氏は考えた、これから先の人生のことを。もうすぐ自分は、社会に出る。そしたら向こう40年は仕事人生が待っている。どうせなら自分の好きな仕事がしたい。人の役に立つ仕事をして社会に貢献したい。自由に生きていく力を身につけたい。そのために、今、何をすべきなのか。土屋氏は、今の自分に欠けているものを真剣に考えた。そして出た結論は、もっと学ぶ力を身につけることだった。

「社会に出ると、いろんな人と勝負しなくちゃいけなくなる。その中にはめちゃくちゃ勉強を頑張っていい大学を出た人もいれば、部活に真剣に取り組んで何か結果を残した人もいる。そんな人たちと自分が肩を並べていくには、人の3倍のスピードで成長しないと無理。それには学ぶ力を鍛えるのが一番だと思ったんです」

かくして土屋氏は、夜間の資格講座に通い始めた。選んだのは宅建取得講座。不動産に興味があったわけではない。その講座は難関と知られる宅建試験において90%の合格率を誇っていた。きっと何か圧倒的な学習ノウハウがあるに違いない。その虎の巻を自分のものにすることが、土屋氏の目的だった。

「そこで出会った講師の先生が、僕の人生を変えるきっかけになった人。先生はいつも資格取得をゴールにするんじゃなくて、資格を取って自分はどんな社会人になりたいのかを第一に話してくれたし、どういう方法でやれば最も効率的に知識を習得できるのか考えながら勉強するクセづけを教えてくれた。その先生のおかげで、初めて勉強することの楽しさを知ることができました」

わずか半年のスクーリングで、土屋氏は宅建に合格。だが、本当の収穫は資格ではない。この講座を通じて出会ったある人物が、後の土屋氏の人生に強烈な影響を与えた。

「その先生は、受講生たちの今後を考えて、講義以外の場でもいろんな業種の人たちと直接話す場を設けてくれました。その中で僕がいちばん印象的だったのは、あるバンカーの方で。その人は資産運用のお仕事をされていたんですけど、当時の僕は投資って聞くと、それだけで漠然と怖いイメージを持っていた。なのにどんどんその人の話に引きこまれていって。いかに自分が金融に対して偏ったイメージを持っていたか、その人の話を聞いて気づきました」

人が生きていく上で絶対不可欠なお金。だがお金の話をすることは、親族間でもタブー視されるなど、日本ではお金は不浄のものとして扱われがちだ。

「その認識自体が、そもそもおかしいんですよね。お金にいいも悪いもない。大事なのは、ちゃんと自分の頭でお金について考えること。生きていればみんな大なり小なりお金に関する悩みを人生のどこかで抱えていく。だったらお金の悩みを解決する仕事を通じて社会に貢献することが、僕の使命なんじゃないかって、その人の話を聞いて、パッと未来が開けてきたんです」

組織人としてのジレンマ。

自分の夢を叶えるため、男は冒険の道を選んだ。

そうして土屋氏は大学在学中にファイナンシャル・プランニング技能検定1級とCFP(FP技能士1級の国際ライセンス)を取得。ファイナンシャルプランナーとして独立の道を目指した。ビジョンは、正しいところに正しいお金の向き合い方をお届けできる金融のプロフェッショナルになること。就活シーズンを迎えた土屋氏は、一時は卒業と同時に開業することも考えたが、まずは基盤を固めようと地域密着型の地方銀行に就職。独立のための準備期間と捉え、個人客の新規開拓に取り組んだ。

「仕事自体はすごく楽しかったです。自分のやりたい仕事だったし、お客さんの役にも立てて、喜んでもらえる。1年目で64人の同期の中から新人賞にも選んでもらえて、自分なりに自信を持つこともできました」

だがその一方で、自分の将来についても徐々に葛藤を抱えるようになった。

「僕の最終的な夢は、自分の理想とする金融サービスをお客様に提供すること。でも、それは銀行にいる限り一生叶わないだろうなということもわかりはじめてきました。銀行は、あくまで会社。上の意向には逆らえない。自分の理想を貫くには、銀行の外に出ていくことが必要でした」

そんなときに偶然出会ったのが、現職であるプルデンシャル生命の営業マンだった。最初は、生命保険について何の興味もなかった。だが、お金に関する相談役になりたいという土屋氏の青写真を聞いて、その営業マンが放った「うちならそれができるよ」という一言が、思わぬ方向へ土屋氏の人生を転がしていった。

「最初はそれでも半信半疑だったんです。でも、ちょうど同じ頃に、今の会社が出版している本を偶然本屋で見かけて。興味本位でページをめくっていたら、こんな一文に出会ったんです。『ただお客様のことだけを考えて行動していればいい』――もしこの言葉が本当なら、僕の望んでいることが実現できる場所なんじゃないかという気がしました」

もっと一人ひとりが主体的に自分のお金のことについて考えられる環境をつくりたい。それが、20歳の頃から変わらない土屋氏の未来構想だ。保険という商品を設計するには、当然その人のライフプランニングや資産計画が切り離せない。ずっと思い描いていた金融コンサルタントとしての道が、その先に開けているようなイメージが土屋氏の脳裏に鮮やかに浮かび上がってきた。

「もともと僕はずっと独立することにこだわってきました。でもよく考えると、僕がしたいことは、自分の事務所を開くことではなく、理想とする金融サービスを提供することなんですよね。たとえ会社員だろうが個人事業主だろうが、それが実現できるなら、それこそが僕の考える独立。そう納得した瞬間、自分の進むべき道が見えました」

全部土屋さんに任せるよ。そんな厚い信頼をすべてのお客様と築いていきたい。

実は土屋氏は13歳の時に生死にかかわる大きな手術を乗り越えた経験を機に、生き方について真剣に考えるようになる。この頃から「自分と会って良かった」と思ってもらう為に生きると考えるようになり、現在も変わらない『人との繋がりに日々感謝』という信条はこの時に形成されたと言ってもいい。

そしてなぜ土屋氏が生命保険にこだわるのか。それは「自分は万が一を一回経験している為、そこを伝える力は人よりある」との自負からだ。

「かつ保険を考える上で向き合うべきはお金です。万が一の際のお金の向き合い方に特化した話を世の中に提供していくことが、自分がやるべき仕事だと感じたからです」そう熱く語ってくれた。

間もなく入社してまる2年を迎える土屋氏は週3件の保険契約の預かりを、入社以来連続90週を達成し、世界中の生命保険営業マンの憧れであるMDRTにも入会を果たすなど、その快進撃は止まりそうにない。

「20歳で夢を見つけてから、探して探して、やっと辿り着いた場所。だから、頑張らない理由がない。入社してからのこの2年間はひたすら仕事に打ち込もうと決めてやってきました」

それでも現状に満足はしていない。土屋氏の見据える理想像は、もっと果てしなく遠い。

「まずは同じ20代の保険会社の人材の中で、卓越した金融コンサルタントとして存在していたい。そのためにはもっと毎日一生懸命自分を磨いて、この道を極めていかないと」

人生は、思っている以上に短い。現在27歳。仮にあと33年働くとして、年間100人のお客様から生命保険をお預かりしたとしても、自分の担当できる人数は、あと3300人が限界値だ。星の数ほど人がいる中で、3300人しか直接自分の力で幸せにすることはできない。そう考えたら、一層一人ひとりのお客様との出会いが貴重に思えてくる。

 

「この仕事をやっていて良かったと思える瞬間は、お客様から『保険とお金のことは全部土屋さんに任せるよ』と言ってもらえたとき。それだけ信頼してもらえるということは、金融のプロにとってはこれ以上ない誇り。今まで何人かの方からそんな温かい言葉をいただいてきましたが、そのたびに諦めず夢を追い続けてきて良かったっていう幸福感が沸いてくるんです」

そしてその夢は、まだ終わらない。なぜなら土屋氏にはこの先、もっと出会うべき顧客がたくさん待っているからだ。さらなる出会いを求めて、土屋氏は見果てぬ夢の道を歩き続ける。

<原稿:2018年5月更新>

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